視力があったら、俺の人生はどう変わっていただろう?

 最近「自分に視力があったらなぁ」ってよく思います。(今日ワインをグラスに注いでいるつもりがテーブルにぶちまけちゃった〜、っていう事になってたのは無関係ではないと思う(笑))
物を見ることができたら、きっと便利だし、自分の住んでる町にどんなお店があって、どんな人が街を行き交ってるのかも分かるし。大学の友達が図書館で数学の本を借りて読んでるように、本を読めれば自分の世界ももっと広がるだろうし。
 何より、自分に好きな人がいたら、その人の顔を見てほめることもできるし、かわいい服を選んであげることもできるし、「その服似合うね」とも言ってあげられるし、いろんな場所にもつれていってあげられる。

 願っても病気は治らないから、今までのようにどうやってそれを補っていくかという事を考えた方が有効なんだけど。無い物ねだりってやつかな、ついつい「見えるようになりたい」と思っちゃう。無理なのにね。
 見えないから今の自分がいる。これは間違ってない。でも、見えていたら、また違う自分がいるはず、というのも、あながち大げさな考えではないはずです。
きっと俺が弱視のままだったら、生まれた土地で高校まで行って、その後も東京に出てくることもなく過ごしていたと思います。
でも、見えないからこそ俺は高校から東京に出てきて、そこで今の仲間と知り合った。こういう人生も悪くないとは思います。

 ただ、コンプレックスはいつでも俺の中に存在しています。確かに「見えないことは不便なことだけど、不幸なことじゃない」って思うけど、その「不便」ってのはかなり痛いこと。見えないことなんて、とっくの昔に克服したと思っていたんだけど…。最近になって、それが本当の自分を失わせているんじゃないかと考えてしまう。

 今更それをどうこうできるわけでもないし、受け入れて今までよりさらに長い人生を歩んでいかなければならない事ぐらい、分かってる。
なのに何故?

 きっと、彼女の前の彼氏は弱視だったから、全盲の俺とつきあってもその時に比べれば楽しい時を過ごすことは不可能なんだと、合理主義的な発送をしているのではないか、という懸念が俺の中にあることが原因で、そういう風に思っているんだろう。
本当は俺の本質を見抜いて、それでも大切な友達と言ってくれて、その上で彼女は決断したんだと思わなければならないんだろうけどね。
 ふう、タバコ吸っても、酒飲んでも、歌を歌っても、気が付けば彼女のことばかり。なさけないね、俺って。まぁいいか。あんまり余計なことしても無駄だし。
今自分が楽しいと思えることやって生きていこう。