「中学時代の先生と再会して感じた、恋愛と感情の話」

 今日、久しく会っていなかった中学時代の副担の先生と会ってきました。同級生の友人も一緒です。まぁ、この先生、テキスト倉のあの先生なんだが…まぁそれはいいでしょう。
先生、友人、俺の3人で過ごした時間があっという間に過ぎました。先生と会ったのはどれぐらいぶりか正直分からないし、同級生の友人と会ったのもじつはどれぐらいぶりか分かりませんでしたが、過去の思い出なんかを語り合って、楽しい時間を過ごさせてもらいました。



そんな中先生に「彼女いる?」と聞かれたのですが…。彼女ね〜。まぁ欲しいとは思うけど現在 It’s nothing! であるわけで…。「デートする場所はいっぱいあるのに」なんて言われちゃいましたが、そりゃまぁそうなんだけどね!



で少し帰る途中で思ったことがあります。最近の俺は合理性とか利便性とかを常に念頭に置いて行動しているのではないか。すなわち、感情に突き動かされて行動していることは少なくなっているのではないか、と。
高校生のときは、そのころの日記を読んでもらえば分かるように、どうしようもないほど一人の女のことが好きだった。その女の彼氏が自分が世話になった先輩であっても、もはや気持ちを止めることは不可能だった。おかげでもうその先輩とは連絡とってないんだが…。
しかしながら、それは合理性のようなものを追求して彼女を愛したわけではない。むしろ先輩の女を好きになることは先輩に対して恩を仇で返す行為であり、先輩との関係を絶つような行動に合理性を求めるのはおかしな話である。つまり、当時の俺は「彼女を愛する」行為を、自分自身に生まれた一つの感情によって、その感情をエネルギーとして行動していたのである。それ自身俺にとって生きることを楽しいと思えるようにしていったし、彼女を好きな俺がいて、その俺を俺自身が認められているという満足感を得られる行為でもあった。
だが、最近同じ女とメールをしていても、以前のように「とにかく好き」みたいな感情は起きない。無意識のうちにはそうした感情を抱いているかもしれないけど、まず真っ先に「仮に彼女とつきあったとして、俺と彼女が住んでいる地域の距離は近くないし、生活も合わないから、どれだけ俺にメリットがあるのか」ということを考えてしまう。すなわち、恋愛に合理性を追求し始めているのである。
こうなってくると、相手が誰であろうと、まず自分にとってその子とつきあうことにメリットはあるのか、そして、それは現実的に可能なのかと考えるようになる。対してコミュニケーションを取ってもない女にそういう考えを適用すれば、もちろん答えはnoだ。昔好きな女にそれを適用すると、状況によるが、おそらくyesであることは少なくなるだろう。
ということは、俺自身が人を好きになるのは、自分にとっての合理性・利便性などを追求した結果、それらを得られると結論づけられたときのみである。利便性という言葉はとても失礼なので、これ以上使わないことにするけど、これってものすごく悲しいことだ。
高校生だった俺は、つきあえないと分かっていても、先輩との関係を壊すことになると分かっていても、一人の女を愛した。「お前は振り回されてるだけだ」と友人に言われたが、あくまでそれはそいつの勝手な意見に過ぎない。いや、実際俺は振り回されていたのかもしれないが、一人の女を是が非でも好きになるという行為そのものは、とても純粋で、理想とすべきことではないかと思う。もちろん、他人を傷つけることになるとか、自分自身も傷ついてしまうとか言うことは抜きにしてだが。
要するに、何故俺はこんなにも感情によって行動を起こせなくなってしまったのか、どうすればもっと自分の気持ちに素直に、感情のままに行動できるようになるのか、ということを考えたいのである。
ま、感情のままに行動することで、自分が傷つくことを既に学習した俺の心が、無意識のうちに防衛手段として合理性を追求する心へ俺の心を変化させてしまったのだとしたら、それは大きな損害であろう。
っつかだんだん何が言いたいのかよく分からなくなってきたけど、とにかく「好きであると認められる女性よ、現れてくれ」と言いたいのである。こんなことじゃぜったいそんな女性は現れないと思うけど。でもだからってどうすればいいの?大学でひたすら女に声かけまくればいいの?「ごめんなさい、目が見えないので」と言いつつ女の子にぶつかりまくればいいの?出会い系でフィーリングが合いそうな女の子を捜せばいいの?
あぁ、なんか意味分からなくなってきた。まぁ、今日は日本酒飲んでるからよし!!こういう日記も、後で読んだら「馬鹿なこと書いてるなぁ」という風に俺は思うんだろうな。別にいい。ほんとに思ってることをなんとなく書いてるだけだから。そもそもなんでこんなこと書いてるの?そればっかりは今の俺には分からない。



ということで、最後に一言。便所行きてぇ!