「大学生活に疲れたけど、ささやかな楽しみを見つける日々」

 5月も下旬になって、本来ならば大学にも慣れてきたころだと思うんですが、最近なんか疲れている自分がいる気がします。
週の真ん中にゼミがあるのでその準備やらで前半はてんてこ舞い、でゼミが終わると別の課題に取り組んでてんてこ舞い。しかも今週はレポート提出、来週試験なのでゼミの準備と平行して課題をやらないといけない。…まぁ学生なんだから勉強しろってのは理にかなったお言葉ではありますが、それにしたって毎週発表ってのはつらいっすよ!!



 そして本日は1日引きこもっていました。日曜日にレジャーに行ったらそれこそまさに撃沈されそうで…。だから最近土曜日の午後に遊ぶようにしてます。そしてぜったい日曜の朝は自宅で迎えるように心がけております。
おちついたら友達と飲みに行きたいとも思っているんですが、なんだか最近お互い時間が合わなくってなかなかそれもできてません。
まだ心にも時間にも全く余裕が持ててないって状態にはなってませんが、あまりに淡々とした日々が続くと、学ぶことの意味を見失いそうで怖いです。
よく「大学の勉強は役に立たない」と言われますが(大学の先生も言ってました)、社会人として働いている人を見てるとまさにその通りのような気がしてなりません。
俺の場合、専攻しているのはコンピュータ科学ですが、正直一般企業で働く場合にどのように役に立つかは全く分かりません。基礎知識とか教養という面では知ってて損は無いかもしれませんが、所詮その程度の科目も少なくないように感じます。
先生の言葉で的確だと思ったのは「大学で学ぶのは知識ではない。知識や技術を身につけるための方法論だ」という言葉です。最近それが身にしみてきた気がしますが、しかしながら四百万払って習得するのが方法論だけだけではあまりにも悲しすぎませんか?
 だからこそ方法論を自分のものにしながら知識を習得することが大切なことだとは分かっていても、なかなかそれを実行できない自分がすごく腹立たしいです。「知識は財産だ」という人がいますが、それもよく分かります。でも実行できない自分がいるということは、すなわち本当は分かっていないということなんでしょう。



 こういう信条を将来の自分が読み返したとき、俺はどう思うのでしょうか。そう思って昔の日記を読み返すと、なんだかしきりに「勉強する」といいつつ、それがほとんど実行できてないところを見ると、たぶん「へへ、結局何も変わってねぇな」って思うんでしょう。
好きなことだけやって生きていけたらどんなに幸せかと最近よく思います。だから、(俺に言わせてもらえば)悠々自適の生活をしている人がうらやましい。当然その人なりに苦労はしているんだろうけど、というビジョンで考えたときに、自分がしたいことをやって、それで生活できている人がものすごく幸せに思えるのです。
 将来自分がこのような状態になれるよう、今から努力しよう、と今は思うんですけどね〜。1日経つとそんなこともう忘れてたりするんだよなぁ。
ま、しばらくは「日常の些細な出来事で楽しみを見いだす」という行為に走ってみようかと思います。例えば、朝の駅前で女子高生と女子大生を見ながら「いいなぁ、いっぱい女の子がいるなぁ」と感慨にふけってみたり、授業中に「水泳の授業って今考えるとパラダイスだったんやなぁ」と思いを巡らせてみたり…。
だめじゃん!これ完全にだめだめ人間やん!!