「暇つぶしにC言語の入門書を読んでみたけど集中力が続かない。唯一の救いは『フルメタル・パニック!』の新刊がアップ

 いいかげん暇です。
C言語の入門書を読んで暇をつぶしたりもしていますが、それにしたってこんなもんずっと読むだけの集中力は俺にはありません。
唯一今日よかったことと言えば、フルメタル・パニック!の新刊がないーぶネットにアップされていたことぐらいですね。
それにしても、章節とは言え自分の住んでる町が戦場になるというのも微妙な気分ですが…
 ところで、今日右翼の街宣車みたいなのが家の近くをうろついてました。
でもどうやらその車はイエスについて近隣住民に教えを説いているらしく、「イエス様がどうのこうの…」とスピーカーから流れてました。
イエスは、たしかよく分からない誰かに貼り付けにされて殺されたとなっていたように思いますが、今日の街宣車によれば、
「イエス様は善良であって、彼を殺した人たちは悪い人たちなんです。
この世には悪い人たちがあふれており、イエス様は私たちの代わりに死んでくださり、善良なイエス様を信じない人は一生地獄で苦しむのです。」
と聖書に書いてあるそうです。
「…あっそうですかっ!」
ってかクリスチャンの人は、イエスが殺されたという表現ではなく、死んでくださったという表現をするんですね。
死んでくださったって、そりゃちょっとどうかと思うけど…。
 それにしてもスピーカーでイエス様の教えを説いていた人も、「そう聖書に書いてあるのです!」って、せっかく布教活動するならもうちょっと断言してもいい気がするんだけどなぁ。
聖書に書いてあったって、そんなこと言ったら、江戸幕府がキリシタンを弾圧したとかってことは教科書に書いてあるわけで、つまりそんなもん誰だって聖書読めば分かるんだから、聖書には書いてないこと言えばいいのに。
でも彼らは聖書がすべて正しい事実であると思っているのだろうか。
聖書の内容をすべて事実であると解釈している人をキリスト教ファンダメンタリストというらしいですが、いくらなんだってこんなもん事実としてとらえられるもんなんでしょうか?
そりゃ何かにすがりたい衝動にかられ、神を信じるようになり、聖書を読んで感動を覚えるのは結構なことですが、いくらなんでもイエスが復活したってのはどう考えてもうそじゃないかい?
 んで俺が何を言いたかったかというと、要するに昼寝のじゃまだったってことなんだけど…
あぁ、今日もまた夜が眠れない…